逆さまのピラミッド

以前から予告しています今年の夏の八重山家族旅行のレポートがまだなのですが、毎度お決まり(^_^;;、別の話題です(苦笑)。

2010/10/18から、名古屋でCBD-COP 10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されて、10/29(と言うか、実際には10/30の早暁だったようですが)には、何とか、「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」とが採択されました。この「議定書」 と 「ターゲット」の採択は、将来の私たちの生活を維持していくことに、とても大きな影響を持つ、歴史的な出来事だったと思いますが、どうも我が国のマスコミ報道ではイマイチ、この結果が大きく取り上げられていないように感じます。本当は中国漁船の衝突のビデオとか、「耳かき店」の店員の殺害犯の裁判とか、あるいは今横浜で開催されているAPECなんかより、よっぽど大事で、大きく取り上げるべきニュースだと思うのですが、やはりどうにもこうにも、マスコミのやることと言うのは、ピントがズレている感じがしますね。

で、「そんなことを書くくらいなら、お前がきちんと解説しろよ!」と言われそうなのですが(^_^;;、申し訳ありませんm(_*_)m。私自身がまだ、「名古屋議定書」や「愛知ターゲット」の詳しい内容を知りませんので(そもそもマスコミ各社の報道を見ても、まだ「議定書」や「ターゲット」の詳しい内容が掲載されていませんし。苦笑)、そちらはまあ、今後徐々に解説書みたいなものが出て来てから、ゆっくり考えることにして、ここではさらに原点に立ち返り、「ではなぜ、こんなにもマスコミのピントはズレているのだろう?」という、その原因から考えて行きたいと思います。

と言っても、実は結論は簡単。


 生物多様性保全に関してマスコミのピントがズレているのは、要は、「今後も私たちの現在の生活を維持する上で、生物多様性の保全がいかに大切か。」ということが、マスコミの連中にはもちろん、世の中一般の人々に、ほとんど理解されていないからですよね。

そもそも我が国では、今回のCBD-COP10「生物多様性条約第10回締約国会議」などと呼ぶのでは堅苦しいということで、政府が音頭を取って「国連地球生きもの会議」なんて言い方を変えていて、朝日新聞でも、

>
生態系保全目標に「愛知ターゲット」 生きもの会議閉幕

なんて見出しを掲げているのですが、私なんかこの文字面を見るだけでも、「バッカじゃねえの?」と思います。生物多様性保全というのは、そんな「生きもの会議」なんてメルヘンチックな名前で呼べるほど、呑気な話ではないからです。

生物の多様性というのは、要は、そこから生み出される「生態系サービス」の源ですから、つまり「生物多様性が失われる」という事は、我々・人類の社会や経済、文化が現在享受している自然の生態系サービスが失われるということになります。その結果として我々の社会・経済・文化にもたらされるものは、まず飢餓(そして飢餓より早いのは水不足かもしれません)。加えて自然災害の増大(生活圏の安全の喪失)。そして飢餓や自然災害の増大(生活圏の安全の喪失)が現実に迫ってくるとなれば、我々・人間の社会の最初の反応は、過去の歴史を遡ると、常に戦争でした。

という事はつまり、ものすごく端折って言ってしまうと、「生物多様性が失われると戦争が起きる。」ということです。これは決して私の妄想ではなくて、例えば「イースター島の悲劇」(こちらを参考に)なんかはその典型ですし、また世界の歴史を振り返れば、実はほとんどの文明は、自然破壊≒生物多様性が原因となって戦争/紛争が起き、結果的に滅亡しています。

(この辺の話は、石弘之氏の著作『火山噴火・動物虐殺・人口爆発』なんかを読んでいただくとものすごく面白いで、是非一読をお勧めします。また、西欧近代の帝国主義/植民地獲得競争なんかも、実は西欧諸国が自国領土内だけでは足りなくなった自然資源≒生態系サービス≒生物多様性の恵みの供給を海外に求めた結果だと考えることも出来ますから、それによって数多の文明が滅亡したこともまた、地球規模での生物多様性の損失が遠因とも言えるのではないかと思います。)

ですから、今問題になっていて、ついこの前まで名古屋で世界中の学者や政治家が集まって議論していた現在の「地球規模での生物多様性の減少」というのは、言い換えると「世界規模での人類の文明の滅亡の危機」に他なりませんし、そのための会議=CBD-COP10は「地球規模での戦争回避のための会議」でもあるのです。

それを「生きもの会議」だなんて、「どこまで平和ボケしてるの?」と感じるのは、もしかしたら私だけでしょうか?(苦笑)

ただ、とは言え、そんな風にマスコミを初めとする私たちの社会が、生物多様性の損失について無頓着で、関心も低いというのは、実は理由のないことではないようにも感じます。それはつまり、我々自身が普段、「生物多様性の恵み=生態系サービスのお陰で、自分たちが生きていけている」ということを理解(あるいは実感)していないからであり、そのまた背景には、いわゆる「生態系ピラミッド」という、時代遅れのモデルによって培われた、生態系の仕組みに対する誤った感覚や自然観、あるいは、理解があると思うからです。

その「生態系ピラミッド」というのは、例えばこんなものです。

− 生態系ピラミッドの例 −
生態系ピラミッドモデル

(財)日本生態系協会編著『環境を守る最新知識[第2版]』
P6 図1-1 陸の生態系ピラミッドの例
をベースに、私が作成しました。
ベースになった図は、下記URLでもご覧いただけます(↓)。
http://www.hokkaido-ies.go.jp/seisakuka/gyosei_shiryo/html/07hairyo.htm



この『サンゴ礁年漂流記』をご覧になる皆さんも、詳しい内容にはご興味なくとも、どこかで一度や二度は見たことがありますよね?「生態系とは何か?」とか「食物連鎖とは何か?」なんて話の時に、必ず出て来ているのではないでしょうか(苦笑)。

ところが私に言わせると、この「生態系ピラミッド」というモデルは全くお粗末なもので、私はあのモデルが実は、自然の生態系の仕組みを誤解させ、ひいては、人間と自然の生態系と間の関係に関する正しい理解を妨げているのではないかと思っているのです。あるいは、生態系と人類の社会との関係に関する感覚を誤らせている。

具体的にどこが良くないかと言うと、

× 視覚的に極めて安定的な構図で、結果的に生態系が堅牢で壊れにくく、静的なものというイメージを与えがちである。
× 例えば「3次消費者が直接1次消費者を捕食する」などの関係を表現できず、複雑な「食物網」のイメージを伝えられない。
× 猛禽類などの高次消費者(当然「人類」も含む)が生態系ピラミッドの「頂点」で、生態系全体の支配者であるかのような誤解を与える。
× 「分解者」の位置づけと役割が表現できていない。生態系の中で、 「分解者」が中心となる「腐食連鎖(デトライタス・サイクル)」の重要性を過小評価させる。
× 生物群集間の栄養・エネルギー循環を表現できていない。「ピラミッド」上部の太陽の役割なども、正直、意味不明(苦笑)。
×  生物の「多様性」の重要性を表現しきれない。「ピラミッド」の構成種数の増減と、生態系の強靭さの変化が結びつかない。
× 生態系を構成する個々の生物群集のウェイトを表現できない。生態系内の特定の生物群集のみが異常に繁殖した場合の問題点などは、この「ピラミッド」モデルでは表現できない。

等々と、すぐにいくつもの欠点を思い浮かべることが出来ます。

つまり、私に言わせれば、こんな「生態系ピラミッド」なんて不完全なモデルに基づいて、生態系やそれを構成している生物の多様性に対して「上から目線」で見ているからこそ、ちっとも、実は私たち人類の現在の暮らしを維持してくれているのが、生物多様性に富んだ自然の生態系であることに気づかない。そしてその生物多様性と、その結果として維持されている生態系全体が、崩壊の危機に陥っていることに気づかないのではないか。ということです。

そこでこの際、生まれてこの方、半世紀近く、その人生の中で一度も、高校生物の授業さえ受けたことがないという、正にこれ以上ない“ど素人”の私ではありますが(^_^;;、その私・放蕩息子が、大胆にも、「生態系ピラミッド」に変わる新しい生態系の構造のモデルを、全世界の人類に向けて提案させていただきたくことにしました(爆)。

それがこれです(ジャーン!)。その名も生態系「藤棚」モデル(↓)。


− 生態系「藤棚」モデル −

生態系藤棚モデル

 

クリックすると大きく表示されます。
是非ご覧になってやって下さい(笑)。


これ結構、作るのに苦労しましてねぇ(^_^;;。でも良く出来てるでしょう?
(と、とりあえず自分で褒めておく。爆)

このモデルのメリットを列挙しますと、こんなことになります。

「吊り下げる」というイメージが、生態系の流動性や脆弱性・ダイナミズムを強力に表現する。
視覚的に「食物網」そのものである。任意の栄養段階をスキップした関係も表現し得る。
猛禽類などの高次消費者(当然「人類」も含む)は、「藤棚」の一番下に吊り下げられ、生態系の変化に最も弱い生き物であることを明示する。
「分解者」の位置づけと役割が明確。「腐食連鎖(デトライタス・サイクル)」が、生態系維持に不可欠の要素であることを表現できている。
太陽光から始まる栄養・エネルギー循環が一目瞭然。生態系の説明がそのまま、栄養・エネルギー循環の説明になっている。
構成種の増加=「藤棚」の“網目”が密になる=生態系の強靭さの向上であり、生物多様性の重要性が分かりやすい。
生態系の中の一部の生物群集のみが異常に増えると、「藤棚」の構造全体が歪む。これによって、一部の過剰な繁栄(繁殖)が生態系全体のバランスを崩すことを表現しやすい。


どうですか?
良いでしょう?
良いじゃないですか!(笑)

生態系って何?」「生物多様性が失われるとどうなるの?」と訊かれたときに、今までの「生態系ピラミッド」を使うよりすっと、危機感が伝わりやすいとは思いませんか?(^_^;;

実はこのモデルは、単に紙の上で平面的に表現するだけでなくて、画用紙と紐、クリップなどを使って、立体的なモデルにしてあげると、生態系保全の難しさがますます実感し易くなるのではないかと思っていますので、そのうち実際に作ってみたいと思っています。出来たらまたこの『サンゴ礁年漂流記』にもアップしたいと思いますので、楽しみに?お待ち下さい(笑)。

既にお気づきの方もあるかもしれませんが、このモデルの最大のポイントは、今までは一般的に「食う−食われるの関係」と呼ばれていた生き物同士の相互関係を、(栄養/エネルギーを)「与える−与えられる/養う−養われるの関係」として解釈し直すことにあります。つまりそれは、「捕食者=強者/被食者=弱者」という、我々の無意識レベルで刷り込まれている力関係を、逆転して見て行こうという考え方です。

そしてこれは、何もへそ曲がりの私が勝手に考え出しただけの解釈でもなくて、それなりにきちんとした裏づけのある考え方でもあります。実際、かつて一般的な自然観だった「弱肉強食」というイメージで見ると、肉食動物は「生態系の上位にあって、下位にある草食動物を捕食する強者」という評価になってまいますが、一転、これを栄養/エネルギーの流れとして見直すと、むしろ草食動物が肉食動物に栄養/エネルギーを与えてくれているからこそ、肉食動物はその生命を養うことが出来ていると言える。つまり栄養/エネルギーの流れから言えば、明らかに、草食動物の方が上位(上流)にあって、肉食動物はそこから栄養/エネルギーを受け取っている下位(下流)の存在であるからです。

(これは例えば、「シマウマはライオンがいなくても困らないが、ライオンはシマウマがいないと生きていけない。」と言えば分かり易いでしょうか。それならば実は、シマウマに頼って暮らしているのがライオンであって、ライオンは、「シマウマに養われている、か弱い存在」だということになりますよね。そう考えればどこが「百獣の王」か。という話です。笑)

ですから、この“逆転の発想”に基づいて、従来の「高次消費者」をむしろ最下層に、「低次消費者」をその上に、「生産者」である植物を最上層に配置した“逆さまのピラミッド”状の生態系のモデル=私の生態系「藤棚」モデルは、従来の「生態系ピラッミド」よりむしろ、現在の自然の生きもの同士の関係の実態を上手に反映したものだと言えます。というのは、生態系の変動や変化を前提に考えたときには、「ピラミッド」の上位に位置する高次消費者ほど生態系の変化に弱く、真っ先に絶滅する“弱い”存在であるからです。
(実際、ソフトバンククリエイティブ社のサイエンス・アイ新書から上梓されている、『生態系のふしぎ』という本にも、高次消費者についてはっきり、「みんな強そうに見えても、…(中略)…生態系全体から見るともっとも弱い立場にあるのです。」なんてことが書いてあります。/同書P74)

そしてこの生態系「藤棚」モデルで、我々人類の立場を理解すれば、私たちは今やとても、「万物の霊長」などと戯けた(たわけた)ことを言い、他の動植物種を絶滅へと追い立てている場合ではありませんね。

そうです。植物から始まる「食物網」が維持している生態系の一番下で、様々な自然の生き物の複雑な関係に養われている「被扶養者」としての人類が、その生態系の食物網を構成している動植物を絶滅させてしまうことは即ち、自分自身の“養い親”を一つ一つ、失って行くことに他ならないからです。

どうですかねぇ?この生態系「藤棚」モデル(^_^;;。

もちろん、100%文系のど素人の私が、どれくらいの人に見られているのかも分からないこんなブログサイト(と自分で書いてしまうのも些か申し訳ありませんが(^_^;;)に書いているだけのことですから、これが世の中に広がっていくとは思いませんけどね(苦笑)。

ただどうも世の中には、いわゆる「常識」と言われているものをひっくり返してみたり、裏返してみたり、あるいは斜めから眺めてみたりすると、今までよりもずっとはっきりと物事の本質が見えてくることもあります。少なくとも私自身では、「生態系って何?」とか「食物連鎖って何?」と聞かれた時に、今までの生態系「ピラミッド」を見せて、

「ほら、生き物同士のつながりってのは、こんな風なピラミッドみたいになっていてね。下の土台が崩れちゃうと、そのうち、一番上に乗っかっている人間も、生きて行けなくなるんだ。」

なんて説明するよりも、

「ほら、生き物同士のつながりってのは、こんな“藤棚”みたいになっていてね。一番下の人間は、上にいる植物や小さな生き物がいなくなると、すぐに下に落っこっちゃうんだ。」

なんて説明をした方が、ずっと分かりやすいと思うのです。(しかも既に説明したように、そのほうが理に適っている。)

ですから私としては、是非、今回提案した生態系「藤棚」モデルを、できるだけ多くの方に理解していただいて、生態系に対してこういう見方もできるのだということを、大事に育てて行きたいと思います。

皆様もご覧いただいて、「ここが違う。」とか「ここがヘンだ。」とかも、あるいは「もっとこうしたら。」というようなご意見があれば、是非お聞かせ下さい。
ま、それでこの「モデル」が改善されていったとしても、やっぱり世の中にはあまり役に立たないだろうとは思うのですが(苦笑)、少なくとも私は喜びます(爆死)。

* * * しつこく【 P R 】(^_^;; * * *

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『二つのゴミ袋運動』にご協力・ご参加をお願いします!
みんなで少しずつ、勝手にゴミ拾いをすることで、
わずかずつでもキレイな海を取り戻しましょう。

* * * 【 P R 】 * * *

PS1.

ところで、ここで私が批判している「生態系ピラミッド(生態ピラミッド/食物連鎖のピラミッド)」ですが、本来の意味には(当たり前ですが、笑)、私が言っているような「上から目線」だの「弱肉強食」だのというような考え方(捉え方)は含まれていません。
もともとはチャールズ・エルトンというイギリスの生物学の先生がまとめたものなのだそうですが、Wikipediaでは(何だかんだとやっぱり便利だ。笑)、「生態ピラミッド」という見出しで、

>生態ピラミッドというのは、食物連鎖や栄養段階において、各段階の生物量にかかわる言葉である。
>一般に、段階が高いほどその量が少ないので、これを積み上げ式に表示すれば、ピラミッドのように
>見えることから、その名がある。

と説明されています。つまり、栄養段階ごとにバイオマスのボリュームが制限されることを表しているだけで、それを生態系や食物連鎖の「仕組み」の説明に用いるのは、本来は拡大解釈と言うか、むしろ“勇み足”でしょう。

ところが実際には、我が国では(外国では知りませんが)この拡大解釈/勇み足が横行しています。( ためしに「生態系」や「食物連鎖」などをキーワードに、画像検索を掛けてみて下さい。沢山の「ピラミッド」を確認できます。⇒例えば こちらこちら
そしてその結果として、生態系の「仕組み」や「ダイナミズム」に関して、既に述べたような誤ったイメージが広がってしまう…。

であればこの際、「その間違った使い方はやめましょう。」というのが、私の提案でもあります。生態系の「仕組み」や「ダイナミズム」、あるいは、食物連鎖の状態を説明しようとするなら、他のモデルを使った方が良い。そう思います。

PS2.

ところでこの生態系「ピラミッド」モデルから生態系「藤棚」モデルへの移行ですが、これは別の言い方をすれば、生態系/生態系サービスと人間社会・経済との関係が、「買い手市場」から「売り手市場」に変化したことに対応した、発想の転換だと考えても良いとも思います。

どういうことかと言いますと、つまり、かつて人類全体の人口も少なくて、地球上のまだまだ「手付かずの自然」が残り、そこから十分な「生態系サービス」が供給されていた時代には、人類はあり余る「生態系サービス」から、自分の好きなものを好きなだけ、自由に選んで利用することが出来た(=自然環境/生態系サービスに対して、それを利用する人類の社会の方が「買い手市場」だった。)

そういう時代には、人類は生態系における最高次の消費者として、「ピラミッドの頂点に君臨している=万物の霊長」と考えておいても良かったのではないかと思うのです。

ところが今や、限られた地球の上で人類の人口は野放図に増大し、その結果として、かつては潤沢にあった「手付かずの自然」は次々に破壊されてしまいました。すると当然、その地球全体の自然環境/生態系/生物多様性から人類に供給される「生態系サービス」の質や量は、かつてのそれより大幅に低下/減少してしまいますから、増えすぎた人類は互いに、その希少となった「生態系サービス」を奪い合わなければならないような状況になって来ています。つまり、過剰な人類に対して、生態系サービスを供給する自然環境/生物多様性の方が優位に立つ、「売り手市場」になったわけです。

となれば、人類が「万物の霊長」などと言っていた時代に作られた「生態系ピラミッド」の概念も、これからの時代には合わない、時代遅れの理解だということになります。むしろ「百害合って一利なし。」かもしれない。人類の社会と自然環境との力関係が逆転してしまったのですから、これまでとは力関係を逆転して理解する「逆さまのピラミッド」=「生態系藤棚」モデルの方が、これからの生態系理解に必要なのではないでしょうか。

私が考えたのはそういうことでもあります。

− 「買い手市場」から「売り手市場」へ −

売り手市場と買い手市場

なお、今回のエントリーに掲載した図は、
別の場所にまとめてアップしましたので、
ご興味のある方はそちらもご覧下さい。
 ⇒ こちら


PS3.

あとついでに、CBD-COP10に関する報道(?)ですが…。

WEB上では以下の3つのページが面白いと思いました。まずは私がいつも、新しいページがアップされるのを楽しみにしている元国連大学副学長の安井至先生のサイト「市民のための環境学ガイド

生物多様性条約COP10閉幕

安井先生のサイトは(時々暴走していることもなくはないのですが(^_^;;)、下手な新聞記事を読むよりもよほど参考になります。やはり建前としては「公正中立」を意識せざるを得ないマスコミ報道などでは、物事の本当の姿は中々見えてこないものですね。

それからあとの二つは、まさに大手マスコミである日本経済新聞の関連出版社ではありますが、日経BP社の環境関連情報WEBサイト「ECO JAPAN」から。

まずは、国立環境研究所に所属する生物多様性研究者としての立場から転進されて、現在は企業を対象とした生物多様性保全コンサルタントとしてご活躍中の足立直樹さんのコラム。

「愛知ターゲット」が企業に突きつける難題

足立さんはこのコラムの中で、

>生物多様性は生物の問題ではなく、むしろ人間活動の問題なのです。

と書かれていますが、まさにその通り。そして

>この目標を2020年までに達成するためには、これから10年間でビジネスは
>自らを大きく変革する必要があるでしょう。

とも指摘されています。これはとっても大切なことなんですよね。

こういう指摘に対して「そんな大袈裟な。」と考える方の目は、ビジネスマンとしては“節穴”で、つまり10年後までには、生物多様性保全も現在のCO2排出/削減と同程度(か、多分それ以上)に、個々の企業活動の直接的な制限要因となっているということですよ。
(だから私は、「APECなんかより、よっぽど大事で、大きく取り上げるべきニュースだ」と言うわけ。)

それから最後に、CBD-COP10の議長を勤められた松本環境大臣のお話が掲載されたページ。これは必読で、この会議に向けた関係者の熱い思いが感じられました(↓)。

松本環境大臣、「名古屋議定書」採択の舞台裏を語る

まあ、私は申し訳ない、この松本環境大臣という方を良く知らないのですが、

>あのときに叩いた木槌は私の一生の宝物。
>69億の人類、ものを言わない生物、そしてまだ生まれていない子供たちの代表として
>仕事をさせてもらった。みんなが力を合わせて英知を結集した賜物だ

というのは、偽らざる心境なんじゃないかなあ…。

私などは松本大臣のこの感想を読んだことで逆にまた、このCBD-COP10という会議が、いかに重要で大切なものであったか、思いを新たにしましたね。

繰り返しになりますが、このCBD-COP10という会議の重要性に比べれば、今横浜で開催されているAPECなんて、どんなに力んだところで、アジア太平洋地域を中心とした限られた地域の人間の、せいぜいここ5年や10年の経済に影響を与えるだけの会議です。地球上の全人類、全ての生物、そして将来の子孫にまで影響を与える仕事、そして彼らに誇れる仕事なんて、そう沢山あるわけではありません。

だからこそこういうことをこそ、マスコミにはもっと報道して欲しかった。それこそが、大手マスコミに本当に期待したいことだったのですがねぇ…(´・ω・`)。

PS4.(まだ「PS.」が続くのか…。笑)

今回の生態系「藤棚」モデル、この『サンゴ礁年漂流記』の本来の趣旨から言えば、サンゴ礁生態系を例にして作るべきなのでは?と思ったのですけれども、サンゴ礁生態系の場合には話がまたいっそう複雑になりまして、生態系の仕組みに関する知識をあまり持っていない方には、「何のことやら…?」という話になりそうなのでやめました(苦笑)。

そもそも海洋生態系というのは、陸上の生態系より複雑で理解しにくい部分がありますからね。

実は先日、日本自然保護協会が主催する「自然観察指導員講習」という講習を受けてきたのですが、その中で講師の先生(=海の専門家ではなく、森林生態系の専門家の方)が、岩場を観察しながら「この場所の生態系では海藻が生産者だ。」みたいなことを仰っていて、「この発言はどうかなあ…。」と思いました。というのは(まあ講師の先生の発言も「間違い」というわけではないのですが)、実際には磯の生態系では、低潮線以下に生育している海藻類以上に、海水中の植物プランクトンや岩礁の表面に発生する微細藻類が生産者としての“主役”だからです。

ところがそれらのプランクトンや微細藻類は肉眼では見えにくいものだけに、「大切な生産者だ。」と言っても、中々分かりにくい。
ましてやサンゴ礁生態系となると、「動物であるサンゴの体内に共生する褐虫藻が主要な生産者で…」みたいなことになるわけですから、慣れていない方には全く「そりゃ何じゃ?」という話でしょう(苦笑)。

まあ本当は、その複雑なところが魅力的で面白いところでもあるんですけどねぇ…(^_^;;。


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