2つのグローバルエコノミー/「リオ+20」と日本経済

 色々なことが中途半端なまま、すっかり更新が止まっていますが(^_^;;、少し気になっていることがあるので覚え書き的にメモ。もうすぐブラジルで開催される「リオ+」と日本の経済について。

* * *

 「経済のグローバル化」が喧伝されるようになって久しいけれども、実はその「経済のグローバル化」の中には、2つの異なる大きな潮流、あるいは“波”があるような気がする。

その一つは、あまり説明はいらない。金融を中心とした市場主義経済の浸透という“波”だ。しかし個人的には実は、この“波”は、2008年のリーマンショック以降、既にピークを過ぎていて、今は衰退に向かっている「古いグローバルエコノミー」に過ぎないのでは?と考えている。収束の気配が見えない欧州の経済危機や、G8の影響力の衰退、それに代わる新興国の台頭などはいずれも、米欧に巨大な利益を集中させようとした「古いグローバルエコノミー」が、既に限界を通り過ぎた証拠なのではないだろうか。

一方、これからまさに大きく盛り上がろうとしているもう一つの“波”とは何か。それは環境保全を軸とした「新しいグローバルエコノミー」、つまり「グリーンエコノミー」の他にはない。

自然環境には国境がないので、環境問題は必然的にグローバル性を内在させている。そこへ、国境を越えた経済活動の活発化がますます、環境問題のグローバル化を促進させた。それがいわゆる「地球環境問題」だ。
この地球環境問題の顕在化を産み出したのが経済のグローバル化の進展だという事実は、環境問題と経済問題とは原理的に表裏一体のもので、つまりは環境問題とは経済問題に他ならないことを示している。それは、伝統的にはグローバル経済が生み出した「負の側面」として、経済システムの下位に隷属するサブ・システムの問題に過ぎないと考えられていたのだけれども、加速した経済のグローバル化は今日では、地球環境の有限性を意識せざるを得ないレベルにまで到達してしまった。そうなると、我々の文明はこの限りある地球と言う閉鎖空間から外へ向かって進展することは、(とりあえずは「まだ」かもしれないけれども)難しいのだから、この地球環境の有限性=地球環境問題がすなわち、グローバル経済にとっての最大の制限要因となってしまう。これが、「グリーンエコノミー」の基本的な視点だ。
(「地球という狭い金魚鉢の中で、グローバル経済という金魚が大きく育ち過ぎたのだ。」と言っても良い。)

こうした状況に対して日本の経済は、実は1980年代後半の円高の時代には、最初の「古いグローバルエコノミー」の先頭に立つ可能性があったのだと思う。ところが結果的には(だろうか?)、1990年代初めのバブル崩壊と、それに続くいわゆる“失われた20年”によって、「古いグローバルエコノミー」の“波”に乗り遅れてしまった。
(個人的には、「バブル崩壊」に問題があったのではなくて、むしろその以前の「バブル」こそが問題だったのだと考えてはいるが。)

小泉何某と言う半端者が総理大臣をしていた当時に財務大臣として雇われた竹中平蔵とか言う幇間は、そのことに対するルサンチマン(恨みつらみ)がよっぽど強かったのだろう。いまだに、この「古いグローバルエコノミー」の波に追いつきたいと考えているようだ。

ところがそういう心の歪んだ連中が一生懸命、走り去る波に追いつこうと足掻いている間に、実は後ろからもっと大きくて、おそらくはさらに長く続くだろう新しいうねりが近づいている。それが地球環境の有限性を前提とした経済=「グリーンエコノミー」だ。

そしてこの「グリーンエコノミー」が中心命題となって議論されるのが、6月にブラジルのリオデジャネイロで開催される国際会議、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」になる。1992年に開催された「地球サミット」から20年が経過した事を記念して、再度、「地球サミット」が開催されたリオデジャネイロで開催される。

今思えば、「気候変動条約」と「生物多様性条約」という2つの大きな条約が締結された92年の「地球サミット」は、環境問題と経済問題の深いつながりに社会の注目が集まるきっかけとなった出来事だった。環境問題に関する現在の世界情勢の出発点はそこにある。

そしてそこから20年を経て、今度の会議の後の20年間は、環境問題が経済問題の中心テーマとなって行く20年間になるだろう。今度の「リオ+20」は20年後、「今にして思えばあの2012年の会議が始まりだった。」と言われる会議になるのではないだろうか。

しかし20年前の会議と同じく、今回の会議に対しても、日本社会の注目は低い。

20年前、当時の自民党政権の首相・宮沢喜一は、「地球サミット」の重要性を予見しておらず、国会審議を理由に欠席して、爾来、その後の20年間において、この分野で我が国が政治的リーダーシップを発揮できなかった最初の原因を作った。これに対して20年後の現在の、民主党政権の野田首相もまた、そして我々の日本社会全体もまた、20年前と同じ失敗を繰り返そうとしているように見える。

20年前で言えば「バブルの崩壊で環境どころではない。」とか、現在で言えば「大地震からの復興で国際会議どころではない」とか、あるいは「消費増税でそれどころではない。」とか、いずれも、その時点の我が国の国内情勢だけを見ていれば、当然のことのようにも感じられるかもしれない。しかしどちらにも、グローバルな視点と将来を見通す先見性が欠けている。

実はこの「グリーンエコノミー」の“波”に対しても、日本経済はその先頭に乗れるポテンシャルがあったし、いまだにその可能性も残されているのだろうとは思っている。サーファーであれば誰しも感じていることだろうけれども、一つの波の後からは、もっと大きな波に乗れるビッグチャンスも待っているからだ。

ところがいまだに、そのことに気付かない者がいる。過ぎた波はもう確実に衰えて来ているのに、後ろから追いかけている者にはその姿が見えないのだろう。そしていつの間にか自分の周りを取り囲んでいた、さらに大きな波に巻き込まれて、翻弄されることになる。

過ぎた「古い波」を追いかけることを止めて、一段高い視点から冷静に周囲を見渡すことで、「新しい波」の先頭に乗ることができるのか、それとも逆に「古い波」を追いかけ続けて「新しい波」の破壊力に打ちのめされることになるか。我々の社会は今、その分岐点に立たされているのに違いない。

出来るだけ多くの人が、乗り遅れた「古いグローバルエコノミー」を追いかけることの愚かさに気付いて、これから盛り上がろうとする「新しいグローバルエコノミー」の波の先頭に乗ろうと考えるようになることを希望する。

地理的にも、日本は米欧の文化の辺境にある。また歴史的にも、既に「古いグローバルエコノミー」の波には乗り遅れた。しかし新しい文化を築き、新しい時代を拓くのは、常に古い文化の辺境に生まれた者たちだし、隆盛を誇った文明の波に乗り遅れた者たちなのだ。実は辺境性や後進性にこそ、次の時代の中心性や先進性は宿る。

だからこそ、その次の時代の主役に、我々の国や我々の国の人がなって欲しいと願う。それが「リオ+20」の次の時代に向けての、私の期待だ。


* * * しつこく【 P R 】(^_^;; * * *

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